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高校からのパス

進路に関する最初の「自分の選択」は、高校選択かもしれません。親の意向も多分に含まれますし、実質的には選択肢がない場合もあります。一方で、中高受験をする場合、親の意向だけとも言い切れません。本人がやろうと思わないと全く成果は上がりませんので・・・

鉄板ルート(高校(普通科)→大学へ)

この本を読んでいる方でかなり多いパターンではないかと想定します。中高でそこそこの成績をおさめ、なんとなくかもしれませんが大学に進み、そのまま就職する、というパス。普通ですね。普通すぎてノウハウと言えるノウハウがありません。

地方出身者にとって、いける高校というのは実質的にはほとんど選択肢がありません。中学の成績から自動的に割り振られるに近い状況になります。地元の普通科高校をトップとして、工業高校、商業高校、あるいはいくつかの滑り止め私立がある、という状況。(なお、この節の筆者の高校入学は20年くらい前ですから、現状がどうかというところはわかりません。案外状況は変わっていないのか、ガラッと変わっているのか。現状に合わせて読み替えていただければ幸いです。)

都会だと、近くにいくつも高校がありますから、どこに行こうかな、とか悩む余地がありますが・・・羨ましい限りです。

また、公立中学から公立高校に入る場合、内申書の比重が極めて高いという特徴ががある場合があります。筆者の経験を(卒業直前に仲が良かった先生から聞いた話ですが)ご紹介します。内申書を点数化し順に並べ、上から定員分にマルをつける。入試(ペーパーテスト)を点数順に並べて定員分にマルをつける。Andを取って、両方マルが付いていれば合格。どちらかだったら、中学に問い合わせて、滑り止めがあるか、普段の点数(試験日に体調が悪くてたまたま出来が悪かったとか)を聞く、という合否判定をするそうです。高校浪人を防ぐシステムであり、試験一発でない分救済もあるシステムです。

一方で、内申点が明確に存在する以上、”いい子”である必要があります。あえてトガる必要はありませんが、そりの合わない担任・担当とカチあうと最悪です。

[column] 教師は学問のプロではない

小中高の先生は、一般には、学問のプロとはいえません。相当数の教員が学部卒で教員になります。小学校や中学校くらいならば問題ないかもしれませんが高校生に教えるには学問の深みが足りない場合が少なくありません。

教科書検定はされていますから、教科書にはほとんど嘘は含まれません。しかし、わかりやすくするための近似などが多数含まれますし、ごく最近解釈が変わった話、あるいは複数の解釈がある案件なども少なからず含まれます。そういったところに回答できる教員ばかりではありません。小学校の理科などで近似を超える条件が出たとき、ちょっと条件を超えた場合、数学などの定義に関する曖昧さ、天下り的な厳密さを欠く話など。あるいは小学校算数の掛け算順番問題なども教科書の範囲の少し外にありつつ、生徒が直面しうる問題と言えます。それを先生に質問・指摘すると揉め事に発生する可能性があります。

最近教員の多忙さ、ブラックさがクローズアップされることもありますが、例えば生徒から質問・指摘が来た時、「そんな細かいことはいいから他を覚えろ」「教科書にこう書いてあるからこうなんだ」などとされると厳しいですね。

忙しいなら忙しいなりに、「(忙しいから俺は調べられないが)じゃあ調べてごらん。結果を俺に教えて」などと言える余裕があるとその後の生徒の人生に大きな良い影響を与えられるかもしれません。

なお、逆に、大学教員は、一般に学問はプロですが、教え方のプロではありません。毎年繰り返しやっているから繰り返し鍛錬により教え方が上手になっている先生も少なくないですが・・・・

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中高受験をした話

私の場合、個人的な主観ではありますが通う予定だった公立中学の印象が悪かったこともあり、どうせ学習塾を通うくらいなら、 私立中学でも良いのではと思い、親を説得して中学受験をする道を選びました。

私の時代、中学受験は大抵、小学低学年から学習塾に通い、国語、算数、社会、理科のそれぞれの教科を講師に教わりながら、 基礎科目を高得点取るという習慣がありました。今も、良い中学高校へ通いたかったら、学習塾に入って合格できるよう、日夜勉強に励んでいる印象を持っています。大抵、小学5年から中学受験対策講座を受けはじめ、中学模試や対象の中学模試があったりしながら、模試の結果を基に、対策をするということを行っていました。

私は、小学5年生の最後から地元の学習塾に通いだし、中学受験で、2度同じ中学校の入試を受け、1度目は不合格、2度目で何とか合格点をもらえ、その私立中学に入学しました。大抵の場合、中学高校一貫制度を実施している学校が多いので、そのまま進めばエスカレーター式で、附属高校の進学クラスに入学できるという流れになっていました。私の場合は、中学2年で方針が変わり、公立高校受験もできるようになったのですが、親との話し合いにより、同じ中学の系列高校の推薦試験を受け、そのまま、高校へ進みました。公立高校も受けれることがメリットとしてありましたが、偏差値や状況でそのまま高校に進んだ方が良いのではという判断だったので、そのまま、受験をし合格を頂きました。

高校受験の際も、中学3年の夏あたりだったからかマンツーマン指導で教えてもらえる学校に通い、公立高校を受験する 準備を進めていました。本当は、公立高校に進むこと視野に頑張っていたが、行きたい高校の偏差値をクリアできるレベル近くまで来ていたのですが、ギリギリだったので、安全を取った形です。

受験は身体もそうですが、心も相当な消耗をするので、忍耐力は必要です。 ここで、初めて諦めるということを突きつけられました。

高校で普通科を選ばなかった場合

普通の学生としての進路選択であれば、高校で普通科を選び、一般的な大学入試(センター試験・大学共通テスト)で受験するなり、指定校推薦で大学に進学するなり… といった進路選択が普通です。しかし、あえてその経路を全部蹴っ飛ばしたのが、その後の結果としてめちゃくちゃ効いたので、そこらへんの知見について書いておきます。

そもそも私の父は某家電メーカーでノイズ対策系の回路設計を第一線でやりまくってた人でした。父曰く、ノイズが出てて生産に入れなかったワンダー○ワンのノイズは俺がコンデンサ1本で止めたとか言ってましたが真偽を知る術はもう無い気がします(笑)。ですから、私が物心ついた時には家にはんだごてがあり、パソコンも幼稚園に入る前から家にある状況で、技術系の物が家に溢れているというよくわからない環境でした。なのにファミコンはしばらく買ってもらえなかったのでパソコンで遊ぶしかなかった…というのもこれに拍車をかけています。

更に、入った中学にアマチュア無線部があった事から入部、その流れで中2の時にアマチュア無線技士4級を取得しました。 当時、(学校の)勉強をやる意味をほとんど見いだせていなかったので成績もめちゃくちゃ悪かったのですが、理科と技術系の勉強だけは苦になりませんでした。また前述の家庭の環境もあり、当時から技術職として仕事をする事しか考えていなかった(というよりは考えられなかった)事もあって、技術をもっと学びたいと考え、高校は工業科に進学する事になりました。もともとその当時は電子工学、特に高周波回路設計志望で高校に進学しています。入ったのも電子工業科でしたし。

もともと電子工学系の勉強がしたくて入った高校でしたが、その時の工業科において授業時間割のおおよその配分としては普通の高校にありそうな教科の時間が6割程度で、その他4割は技術系の授業でした。 また、高校の方針として「工業科推薦受験で大学に受かって大学に行くように」という指導がなされており、推薦受験のための加点の弾として使える、各種技術系資格試験の取得に力をいれていました。 当時の状況を補足しておくと、その頃(90年代後半)はまだ、電子回路とITがそこまで厳格に分離されていなかった頃です。もともと計算機工学は電子工学の一分野から派生している経緯もあって、工業科の技術系の授業は電子工学と情報工学が混ざったようなカリキュラムで学習が進み、併せてそういった分野の資格試験を取得するように言われるので色々試験を受験する事になりました。 このあたりの事情は電子工学メインのカリキュラムのところだと、今もあまり変わらない所が多いのではないかと思います。電子工学をメインにしているところは制御などもセットでやるので、情報工学系のカリキュラムは普通は含まれているはずです。

そして、2年ぐらい様々な試験を受験した結果、1つ大きな事がわかりました。 電子工学分野は好きなのですが(今でも好きですよ)結果としてあまり自分に合っていないということでした。工業科の中ではトップレベルの成績でしたが、結果として資格試験の取れ高が悪かったのに対し、 情報工学は別にあまりこれといった感覚は無かったのですが、試験の取れ高がかなり良かったのです。 この事実に加え、Windows95が突然の大ブームになった後の状況で、さらにバブル崩壊後の就職氷河期が進み、年々就職が厳しくなっていっており底が全く見えない状況でした。

自らの適性・就職状況なども総合的に判断した結果、大学進学の時点で電子工学分野のスタックはある程度捨てる事になっても構わないので、情報系の工学部に進学を決め、大学に進学しました。 恐らく、高校を普通科で出て大学に入るルートだと適性などに気付くのに相当な遠回りをしていたような気がします。こういう点での進路選択チャンスが普通一発勝負になってしまうところを、もう1クッション足せるというのは、こういった変則ルートの強みそのものではないかな…とあとから考えています。

さて、大学に入って一番強烈に困った事があります。何でしょうか?

そう。一般教養と語学の単位がめちゃくちゃ取りにくかったのです。その結果1年目は仮進級になってしまった事で、色々苦労をしたのですが、一応なんとか4年で卒業できました。 またこの進学ルートを取った事で思わぬ結果になった事もあります。 「資格の取れ高が良かった」事も一因であった進学方針の決定だったのですが、単位が取れなかった事から保険のために資格試験を受けだすようになり、若干20歳で第一種情報処理技術者試験(現:応用情報技術者試験)に一発合格できました。 なお、その頃の情報処理技術者試験の受験は現在とだいぶ状況が違っており、まず受験願書を入手するために「合格 情報処理」という雑誌を買うところから試験準備は始まります。(一部脚色はありますが。(笑))さらに当時、過去問は一般公開されておらず、別途過去問題集を購入する必要があり、その当時は第一種情報処理技術者試験(現:応用情報技術者試験)の受験対策書籍自体も2~3種類程度しか無かった記憶があります。

そのような状況であり、当時は決して受けやすい試験では無かった事もあって、その時の学生合格率は1%を切っていた覚えがあります。 ただ、高校で3年+大学で2年の通算5年間、技術周りの勉強をしっかりやっていた事が強力なアドバンテージになり、ほとんどの分野で設問に対して困るケースはありませんでした。(唯一、オープンソースデータベースが出てくる前の時代だったのでデータベース系の設問だけは実際に検証するための環境が手元になく、大変難儀しましたが。多分本番試験もデータベースの設問だけはボロボロだったろうと思います。)

その後、就職氷河期でヤバいヤバいと言われていた中、国家資格を握った状態で就職活動に励んだのですが、拍子抜けするほどあっさり大手システムインテグレーターから内定がでてしまい、5月中旬には就職活動が終わってしまった事はよく覚えています。資格の大事さを痛感したのもその頃からになりますね。

結論として、苦労したり努力したりする事が他の分野よりつらみを感じないのであれば、それはあなたの適性なのかもしれません。さらに社会ではそういった事に時間やお金のリソースを突っ込んだ人のほうが普通は強くなります。 また、適性があってその分野を掘り下げていくことで、評価される機会も増え、そのうちその分野は楽しくなってくるものです。

他人より「楽に努力できる」のは適性です。

これはこのゲームにおける大事な攻略法です。しっかり覚えておきましょう。

[column] 大学をメインとした学校法人の高校に行ったらエスカレーターはちゃんとあるのか?

高校に入ったら、その学校法人がやっている大学に必ず入れますみたいな、いわゆる「エスカレーター」と呼ばれる学校があります。

最近の事情だと、この「エスカレーター」が100%ある学校と、100%は上がれない学校に分かれてきているようですよ。

  • 100%エスカレーターの学校

    大学に入った瞬間、一般入試で入ってきた人たちとエスカレーター内部進学組で学力に差が出てきてしまって辛いケースがある模様

    実際4年で卒業できなかったりもするケースも多そう

    大学入試をくぐってないので学力が低い生徒に大学が頭を抱えている面もあるみたい…

    学部学科が志望するところに選べるかどうかは難しいケースもあるみたい

  • 100%エスカレーターじゃない学校

 エスカレーターで行けるのは短大だったり、その学校法人の地方の大学のみですみたいなケースがある

 学部学科を選びたかったら外部進学で入るほうがいいと発破をかけられる

 内部進学者の学力が低いのを大学が嫌がってるケースだとこうなりがち

参考にしてみてください。

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