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心の環境構築

人間の心、それはコンピューターにおけるOS、いわゆる核心の部分です。 OSがエラーを吐いたり、動きが悪くなってしまっては、コンピューターは何もできなくなってしまいます。ここでは、あなたの心がエラーを吐いてしまう前に、少しでも生きやすくなるためのマインドセット、心の環境構築についてIT系のインフラ技術を交えながら簡単に説明していきたいと思います。

この章はにんげんがへたエフエムの@akazunomaが執筆しました。

タイムゾーンの設定(過去、現在、未来、自分は今どこにいるか)

あのとき言われた同僚の言葉がむかつく! 親にされてものすごく嫌だったことが未だに腹が立ってイライラする! 昔のいじめを思い出して辛くて辛くて仕方がない…

そんな過去の記憶に振り回されることはありますか。

また逆に、奨学金が返済できるか分からず将来が不安過ぎる これから仕事を続けていくにあたって向いているか分からない ただわけもなく不安、そんな気分になることはないでしょうか。

過去の記憶がフラッシュバックする、将来(未来)への不安が爆発する、これを私は「タイムゾーンの未設定」と呼んでいます。

皆さんは過去・現在・未来の時間軸を歩んでいると思います。 今、この本を読んでいる皆さんの意識は「現在」にありますね。 過去のことを思い出して辛くなったりする状態は、意識のタイムゾーンが過去にある状態です。過去がつらすぎるあまり、過去の自分が現在の自分へ悲鳴を訴えている状況と考えています。

一度傷ついた心の整理はなかなかつきませんし、カウンセラー(臨床心理士)の力を借りるのも良い手ですが、ここでは主に過去に意識を向けるあまりパニックになったとき、私がやっている「現在のタイムゾーン」を設定するメソッドを紹介します。

先程言ったことをもう一度言います。 この本を読んでいる皆さんの意識は「現在」にありますね。 今、どんな状況でしょうか。 今、手元にあるものを見つめてみてください。

私は今、静かな部屋で居心地の良いソファーに座っています。

私は今、好きな紅茶を飲んでいます。

私は今、お気に入りのぬいぐるみを置いています。

私は今、あたたかいブランケットを膝に敷いています。

私は今、買ったばかりの可愛い服を着ています。

私は今、すぐに好きな友人や恋人に連絡を取れる状況にあります。

今の空間に私を不安な気持ちにさせるものはありません。 今、私を困らせるものはありません。

どうでしょうか。目を閉じて、今の自分の置かれている状況をゆっくり羅列してみてください。 あっ10秒前に上司に指示されたとかは忘れていいです。1週間後にくるコンペのことも忘れましょう。 ただひたすらに現在の自分がいかに安心できる状況かを見つめ直してください。 もしあなたが安心できない状況(ミサイルが飛んできている、ネットワークが切れた、ヒグマに全力で追われているなど)であるならば、安全を確保できる場所へ逃げ込むか適切な対処を行ってください。

  • 自分が今、どのような空間にいるか
  • 自分が今、どのようなものを着て、どのようなものを食べているか
  • 自分が今、なにをしているか

「現在の自分の安心・豊かさを見つめ直す」これが「タイムゾーンの設定」です。 過去に向かっている意識を現在に戻してくるために、現在の自分を詳細化して見つめ直してみてください。すると、過去にいたはずの今の自分を攻撃するものはどこにもいなかったり、過去に嫌だったことは今は回避できるようになっていたりする自分に気づくこともあります。

例えば過去にブスといじめられたトラウマに対して

  • 私は今、渋谷で買った可愛い洋服を着ている
  • 私は今、着飾ることを楽しめている
  • 私は今、可愛いねと褒めてくれる恋人がいる
  • 私は今、素敵だねと認め合える友人がいる
  • 私には今、理不尽に容姿を貶める人はいない

このように、過去を見つめている自分のタイムゾーンを現在に戻します。 このタイムゾーンの設定を行なうことで、自分の状況に自信を持ったり、過去を敢えて考えない、現在に集中する技術を身につけることができます。あくまでここでは、過去や未来の不安が現在でフラッシュバックする場合を想定して書いていますが、現在のタイムゾーンに集中することで逆に本当に困っていることが見つかったりすることもあります。

また、これは現在が充実していないとタイムゾーンの設定をしても無意味に感じるかもしれませんが、過去を見ながら現在を豊かにするよりも、現在をどうしたいかを考えながら改善アクションを取るほうが前向きで精神的な負荷が少ないかもしれません。

現在のタイムゾーンで安心感・幸福度を上げておくと、未来のタイムゾーンを見つめたときの安心も増えますし、また、ひたすら現在に集中することで、ちょっと今日の天気が良いとか、ちょっと花がきれいに見えるとか、小さな幸福を喜べるようになるかもしれません。

(ちなみに今タイにいますが、さっき交差点でバイクに突っ込まれました。無傷です。こっちの交通事情は最悪です。ブレーキの概念がありません。ちっとも死にたいと思いません。だって、間違えたら死ねるんだもの。たまにこうやって死の概念をニュートラルに戻すのもいいかもしれません)

 

あなたは今を生きています。

過去も未来もあなただけのものです。

過去を思い出してつらい気持ちになるのも、ときどき振り返って反省するのも、大事なことです。ただあまりにも過去が自分を襲ってくる。そんなときは、それを乗り越えられた自分だからこそ乗り越えられる、そんな気持ちでタイムゾーンの設定に取り組んでみてください。

精神の冗長性・可用性の鍛え方

冗長性とは「必要最低限を行いつつ、いきなり落ちないようにすること」

可用性とは「安定して出来る限り引き続き動けるようにすること」

を指します。

あなたがあまりに疲れ切って動けないとき、「我動けぬ、故に動かん」という強い気持ちで布団と密着するのも良いことです。 心のコンフォートゾーンを守り抜くための「考えない技術」については章の初めの「タイムゾーンの設定」にも記載しました。これは、冗長性・可用性を強める技術です。

自己分散負荷(ロードバランシング)の設計

人は生きるだけで膨大な社会ストレスを背負っています。 膨大なトラフィック(通信)が視覚や聴覚からなだれ込み、知らず知らずのうちにうちに容量がいっぱいになっています。 そんなとき、膨大なトラフィックの適切な処理方法が必要です。 それが「依存先」になります。

皆さんは、「依存先」(または逃避先)と呼べる場所がいくつありますでしょうか。 実家、友人、ゲーム、いわゆる様々な依存先が考えられますね。 生きる上でこの「依存先」をいくつ作れるか、というのは重要な課題になってきます。 サーバーは膨大なトラフィックが流れ込んだとき、ロードバランサ(負荷分散システム)により処理を振り分け、クライアントに処理を届けます。この負荷分散システムが多ければ多いほど、サーバー本体にかかる負荷が少なくなります。すいません、これを書いてる人はインフラエンジニアじゃないので多分プロキシのほうが適切かもしれません。 いくつかのコミュニティを持って、自分の負荷を分散することで、自分自身に負荷を貯めない仕組みです。伝われ。 この分散不可の仕組みを現実コミュニティになぞらえてみましょう。 あなたが上司に仕事を大量に振られたとします。ひとりでは到底こなせる量ではありません。あなたは適切に先輩、後輩といった同僚に助けを求めます。 この「助けを求める」という行為そのものが自分の負荷を分散させるという「ロードバランシング」です。

例えば私は以下のロードバランシング(自己分散先)をもっています。

  • かかりつけの心療内科(どうにもならなくなったときの逃げ込み先)
  • 配偶者(自分ひとりで立てないときの寄りかかり先)
  • 親しい友人(自分ひとりで抱えきれないときの漏らし先)
  • 友人の経営するバー(内輪で騒いで発散したいときに)
  • 図書館(思考を整理するために)
  • 布団(ただ虚無に浸るために)

助けを求める、誰かを頼る、適切なアラートを出すという行為を適切に行なうことはとても難しいです。 依存先を複数持つ意味とは、状況に応じて適切な場所へアラートを出せるようにするためと、依存先をパンクさせないためという意味があります。例えばここで依存先が配偶者しかないと、配偶者がパンクしてしまいます。職場しかないと職場が潰れたときに自分も潰れてしまいます。

走り続けながらそういった負荷分散していく、そういった仕組みで生活のランタイムを伸ばしていると考えています。

問題解決に関するアクションを起こす

ひとまずここまで現在の状況には切羽詰まっていないけれど、精神的にしんどい人のためのメソッドを記載してきました。ここまで読んでみて「いやー、まず今おかれてる状況がやばすぎてなんとかしないといけないんだよな」という人もいるかもしれません。 その場合はこの「ワンストップ生き方」にはあなたの苦しい状況を打開する知見がいっぱい詰まっているかもしれませんので、隅々まで読んでみて下さい。

なにか解決策が見つかったら、具体的なアクションを起こしてみましょう。 そのときのアクションに助けになりそうな言葉をここに書いておきます。

DoSorry、やってみて怒られたら考える

とりあえずやってみましょう。 「もしかしたらXXになるかもしれない」 その「もしかしたら」すらも楽しんでみましょう。 何かをやろうとするときに、偶然素敵なものに出会ったたり、なにか予想外のことが起きること、そうした偶然により幸福を得ることを「セレンディピティ」と言います。 やばい状況になったとき、分散先として設定しておいた友人を頼ったりすることで、先に記載した「精神の冗長性・可用性」に繋がっていきます。

私はときに「Slackとgmailを500円で確認してくれるバイト」を募集したりします。最低ですが、この「精神のリソースを切り抜きする技術」が精神の可用性を高めていくと考えています。

自分の機嫌を自分でデザインする

人の顔色をついつい伺ったり、もしかして自分のせいで…と不安になったりしませんか? いきなり怒りをぶつけてきたり、常に攻撃的。不機嫌そうに対応されたり、常になんだか不安そうで、あれこれ発言意図の深堀りをされる… そういった情緒不安定な人に共通するのは「自分で自分の機嫌を取れていない」という状態です。

自分で機嫌を取れる人は一緒にいて居心地が良く感じます。 今まで記載してきた「ロードバランシング」「タイムゾーンの設定」とは自分で自分の機嫌を取るための手法のひとつです。

生きるための障害とは何か

「私ってうつ病かも?」「実は発達障害なんじゃないか?」そう思ってネットの自己診断チェックシートを試してみた方は少なくないのではないでしょうか。 そういった「もしかして」という気づきは、人生においてとても大切だと考えます。 けれども一方で、インターネットでは「こんなチェックシート全員当てはまるでしょwこんなの甘えだわw」という声も大きいのも事実です。 私はここに、障害に対する大きな誤解があると考えます。

例え話をしましょう。 渋谷のイケイケオフィスで働く営業のAさんと、自宅でフリーランスで働くエンジニアのBさんがいたとします。二人はTwitterで流れてきた「発達障害自己診断チェックシート」を試してみたところ、「発達障害の可能性がある」と診断されました。

その後、健康意識の高い両者が病院を受診したところ、二人とも医者より発達障害の可能性があると告げられます。 医者との綿密な会話による判断により、Aさんは投薬治療とカウンセリングが行なわれ、Bさんは経過観察ということになりました。しばらくしてAさんは障害者手帳を取得しましたが、Bさんは通院を辞め、現在も同じように働いています。

この文章だけ読むと「Bさんは発達障害じゃなかった」という結論に読めるかもしれません。でも、Bさんにも確かに発達障害の診断は降りました。

Bさんがなぜ、通院をやめたか。それは「発達障害で困っていなかった」からです。 Aさんがなぜ、障害者手帳を取得したか。それは「発達障害で困っていた」からです。

このように、「障害」とは同じ症状が出ていても「社会生活においてその人自身が困っているか」という点で診療の要否が変わる可能性があります。この「その人自身」を「周囲の人間」に差し替えても問題ありません。 そのため「全員がこの項目に当てはまるから発達障害や鬱は甘え」といったインターネットの言説は、そもそも個人を見ていない全体主義によるもので、まったくもって誤りだと言えます。

障害とは、社会と触れ合うにあたり差し障りのある状態のことを言うのです。 決して、項目として定義された「健康な人間のプリセット」からはみ出た人を指す言葉ではありません。

例えば、生まれつき足が無い人が何不自由なく暮らせる社会があれば。 それは足が無いことは障害になるでしょうか。 目が見えなくなった人が、耳が聞こえなくなった人が、何不自由なく暮らし「不便じゃないよ!」とまっすぐ言える社会があれば。 それは目が見えないことも耳が聞こえないことも障害ではありません。

現代には、障害と名のつくものはたくさんあります。 精神障害、身体障害、発達障害… 障害とは定義されたハンデだけではなく、各々の抱える生きづらさであり、この世には表現できてない障害がまだまだたくさんあります。

なんらかの定義された障害を持つ人も、そうでない人も、一見「普通の人」に見える人も、社会に存在するにあたって困っていることがある。 それは「皆困っているんだから」と全体主義で口を押さえつけるものではなく「何に困っているんだろう」「どんな助けが必要なのだろう」「さらに、どうなればより良く暮らせるのだろう」と傾聴することが、個人の幸福やエンパワメントに繋がる、そう考えています。

もし、この本を手にとっているあなたが、社会で生きていくにあたって困っていることがあれば。それはまだ、名前のついていない障害かもしれません。 「これは甘えなんじゃないか」そんな言葉が聞こえてきたら、それはあなたの生きづらさに対する声掛けではなく、社会を均一に管理しようとする全体主義の主張です。 人は手の届く範囲の小さな社会で、個人で幸せになります。 もし、あなたが生きづらいと思うことがあれば、信頼できる人に相談し、恐れず病院を受診しましょう。世間を見るのではなく、自分自身を尊重することは、きっと人生の糧や財産になるはずです。

多様な愛が存在するという考え方

人には得られなかった愛があります。

親からの愛、恋人からの愛、友人からの愛など。

私は人生のある時期からわかりやすい愛や恋だけに頼ることをやめました。 ランチに誘ってくれる同僚、傘を差し出してくれた知らないあの人、話を聞いてくれる友人、自分の周りに存在する好意的な彼らすべてを「私がこの世界に存在してくれることを証明してくれている愛そのもの」と定義しました。 私が存在しなければ、透明人間であるならば、声をかけてくれる同僚や知らないあの人、友人すらもいないからです。

この本の私の文章を読んでくれるあなたがいなければ、私は存在していないのです。 そう考えると、求めて飢えていた「愛情」というものがなんだか少しどうでもよくなってしまいました。 親からの愛、恋人からの愛、そういったわかりやすい愛や恋ではなくて、私の存在を認めてくれる人そのものを「すべて平等な愛、多様な愛」そう考えています。

私を認識してくれるすべての人のおかげで、私は存在していけるのです。 自分の存在する世界を愛する、それが私の愛です。

ぜひこの本を手に取る皆様が、自分の人生のデザインに役立ちますように。